僕がカメラマンになろうと思った理由

僕がカメラマンになろうと思った理由

僕は大学生の時に就職活動というものに全く魅力を感じず、特にしたいことも、

なりたいものもなく、ただ日々を消化する様な毎日を送っていました。

あるキッカケで、1年程学校を休みぶらぶらする毎日を送っていた頃、なぜか

気にとまったのは、世界を旅する人でした。

 

当時は今から10年ほど前、バックパッカーたちはブログにその旅の記録を日々

投稿していて(今もそんなに変わらないですね)、それを読むのが当時の楽しみ

の一つでした。

 

特に毎日何かするわけでもなかった自分にとって海外を自由に旅しまくっている

姿は特に憧れの存在でした。

 

その時の自分の友達も特にいず、ましてや自分の周りにバックパッカーしている

人などいませんでした。

その時の唯一の友達はオールナイトニッポンぐらい。

 

当時は今ほどLCCも普及していなかったかもで、今ほど世界一周が当たり前の様

なものでもなかった気がします。

 

その時感銘を受けたのが、同世代で事業などをやっていた成瀬勇輝さん。

今や知らない人はいない、TABILABOの創設者の一人。

 

同世代なのにすごいなあ、と感銘を受けていました。

 

とりあえず自分も旅に出てみる

とりあえず自分も一人で旅に出てみようという思いで、1週間ほどタイに行って

みました。

気持ちは憧れのバックパッカーのはずなのに、いざ出発という段になると

ウキウキどころか、ビビりまくってピリピリの方が強かったのを今でも

よく覚えています。

 

とりあえずバンコクに行ってアユタヤ遺跡を見て、というお決まりの観光を

してただ自分の中では思ったより自由になれない自分がいました。

 

当時はゲストハウスにも泊まらず、とりあえず一人で何をしていいのかもわから

ず、ただただ異文化に圧倒される一人の日本人といった感じでした。

 

初めから終わりまで帰りたいみたいな気持ちがずっとあったのですが、なぜか

最終日ホテルで寝転がって余韻に浸っていると、なぜか日本に帰りたくない

という気持ちになりなぜかよくわからない変な気持ちになりました。

 

急に旅が終わるにつれ旅の楽しさというか、不思議な感覚が自分の中にふつふつ

と出てきて、なぜかその時急にカメラマンになろうと思い立ちました。

 

全くなぜだかわからなかったのですが、そこから決意は変わらず、自分の将来を

決めてしましました。

 

当時から就職よりは何か手に職が欲しかった

僕は思春期の頃、親の勤めている会社が合併でなくなり、大した役職にもついて

いなかった親父はそのまま退職し、アルバイトの様な仕事をしていました。

日本は不景気、企業はどこもいつ潰れるのかわからない、50前後で大したスキル

もなければ再就職先もない、という事実を多感な時期に目撃していた自分は

手に職をつけたい、という気持ちはやはりどこかで強く持っていました。

 

そういう自分にとっては、カメラマンというのはある種それと被るので、タイで

急に思い立ったのもあながち間違った方向でなかったのかな、と思っています。

 

そして専門学校で写真を学ぶ

その後、なんとか大学を卒業してから就職せず1年間アルバイトして専門学校の

学費を貯金し、夜間部に入学しました。

とりあえず専門学校さえ出ればカメラマンになれるだろうという甘い考えの中、

入学し2年生だったので2年間毎日写真漬けの日々を送りました。

 

専門学校での生活はとにかく刺激的で楽しかった。

教員の先生もいい意味で社会のレールの上をまっすぐ歩いて来なかった様な人

ばかりで、話を聞くのもずっと楽しかった。

 

こんな世界があったのかと日々感銘で、

写真の世界にどっぷりはまっていきました。

 

カメラマンとして生きていくには

2年制だったので、1年経てばもちろん次の進路を考えます。

写真作家を目指す人も多い学校だったので、アルバイトをしながら一生自分の

写真を追求するという人も少なからずいました。そしてそれを誰も止めずに、

賞賛する専門学校の懐の広さも好きでした。

 

僕は1年次には、ほとんど最下位の様な成績でボロボロだったのですが、2年次

でなぜか自分には写真しかない、と思いひたすら写真集を読み漁ったり、写真を

撮りまくったりし、なんとか上位ぐらいまで上がり、少し挑戦した気持ちになり

東京にいくことを決めました。

 

スタジオマンという選択

専門学校の次の道としては、作家を目指す人、写真館に就職する人、師匠に弟子

入りする人、そして東京などによくある雑誌や広告撮影のスタジオに就職する人

だいたいこの様なパターンに別れていました。

 

僕はたいして雑誌などには興味がなかったのですが(興味があったのは旅雑誌ぐ

らい)、何か挑戦がしたくなって東京のまさに中心部の中目黒に位置する撮影

スタジオに就職しました。いわゆるスタジオマンというやつです。

  

いわゆるカメラマンアシスタントで、わかりやすくざっくりと例えるとADの様

なものです。全然違いますが、イメージ的にいうとそんな感じ。

 

給料が10万円スタートで毎日過酷な労働という日々でしたが、これもそれほど

苦でもなく、それよりも刺激が上回っていたともいえます。

 

毎日テレビで見ていた様なタレントが目の前にいて、挨拶ができる、という環境

は望んではいなかったものの充分に刺激のある毎日でした。

 

スタジオマンからフリーランスのカメラマンへ

スタジオマンが終わるとまた、次の道を選択しなければなりません。

師匠に弟子入りする人もいれば、フリーで活動する人もいれば、まだまだ

スタジオでアシスタントを続ける、という人もいました。

 

僕はとりあえずアシスタント業に飽きが来ていたので、フリーでの活動に

挑戦することにしました。

 

そして、ブツ撮りからポートレートまで撮影する様になり、、、、

  

なぜか今web制作の仕事をしています。。。

この辺りの理由については、また別の記事で書きたいと思います。

 

自分の元々の目標というかカメラマンになるきっかけは旅で、旅をするために

カメラマンになろうと思ったことに最近気づいたということでもあります。

 

 

 

人生はまだまだ終わらない

さていかがでしたでしょうか。自分の話を最後まで読んで頂いた方には何か

差し上げたいぐらい感謝します。

 

こうやって振り返ると一般的に落ち着く年頃になってなぜか挑戦ばかりしている

そんな僕ではありますが、その様な生き方だからこそ毎日が刺激的で人生に

飽きず、楽しめているという側面もあります。  

 

安定の日々も幸せかとは思いましが、冒険もたまには悪くないです。

不安は尽きないですが楽しいです。

 

次やりたいことは海外移住です。

来年を目処に考えています。 

 

 

 

 

sasurai

旅と写真を愛する人。 web制作の仕事をしています。 写真も撮ります。お仕事のお問い合わせはお気軽に。

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